@福岡(その2)

↑上から読んでね。

 どのみち、原発の限界はみえていた。
 原子力発電所の事故については、ゴルゴ13の64巻「2万5千年の荒野」を参照されたい。スリーマイル島の事故のあと、チェルノブイリ以前、27年前に発表された作品なのだが、状況は何も変わっていない。
 私たちは、ソフトランディングできなかったのである。
 持続可能な、無理のない、質素な生活へと。

 「まだ」メルトダウンや大爆発が起きていないのを僥倖と思おう。
 チェルノブイリの後に、虎ノ門にある、原発の安全性を調べる機関の理事と話したことがある。
 その人はもともと原発のメーカー(TとかIとかHとか)にお勤めだった人で、つまり、原発を売ることを大前提にした原発の安全性と検査ということなのだということが、まだ若くてものを知らないわたしにも分かった。
 ただ、原発はまずいぞと、声を上げる立場には私は立たなかったのである。自分の郷里、あるいは移り住んだところが、原発のある、または立地予定の場所から離れていたのをいいことに「それはまずいんじゃない?」とは言うものの、原発反対の署名がやってくればするものの、大きな声は上げず、ほとんど現実から顔を背けて、大量の電気がもたらす文明生活を、貧乏なりに享受してきたのである。
「安全だなんてウソばっかり」
 いや、ウソだということを私は知ってた。知ってたけど逃げてきた。だから原発事故関連のニュースは私を痛めつける。
 12日、13日頃までは「どうすんのよ」「どうなんのよ」と思ってた。14日から今朝にかけては、原発関連のニュースを聞くに、震えて涙が止まらなかった。
 今朝からは、今自分にできることをこなして、この国をこれ以上壊さないこと。自分の生活を守り、そのことでこの国を国として成り立たせ、そのことで、この国を復興されていくこと。それだけである。
 福岡で、ニュースを聞いて不安で心が折れそうなのは私だけではないだろう。それでもみんな、いつも通り冷静に日々を送ろうと決意しているように私には思える。