富は問題ではない、のか。

 750万円がバラまかれた。どうして神奈川県でなく福岡市でまいてくれなかったのか(笑)。たぶんまいた人も、拾ったひとも、ゴールデンウイークに何度目かの再放送をしていた「ハゲタカ」http://www.nhk.or.jp/hagetaka/のエンディングを思い出していたんじゃないのか。

 都会の空に舞う一万円札。気がついた人々は手を伸ばして取ろうとするが、手に届いたと思ったとたん紙幣は幻の如く消え失せる。少女が両手でつかまえたその紙幣は、手のひらで、花に変わっていた。

 まあ、そういった画面で、バックには、エミリ・ブロンテの詩に曲をつけたものが流れる。詩のタイトルは「富は問題ではない」。まあ、そうともいえるが、どのレベルが「問題ではない」ということなのか。

 ドラマに出て来た貸し渋りで死んだ町工場主。ひとごとではない。いまの私の現状も、貸し渋りの延長線上にある。どうして銀行は業務計画書が読めないんだろう、そう思いながら事業を縮小して今日に至るわけで。従業員もおらず、縮小可能な事業だったから生き残っているに過ぎない。
 そのひとの仕事について、個人の能力や努力のこともあるだろうけど、つまりは職業についての「椅子とりゲームの椅子」の数がものすごく不足してきているんだ、と思う。
 ここまでそうなれば、たとえ貧乏でも、大嫌いな仕事にしがみつくのではなく、好きな仕事してられるのは幸せだと思う。しかし、それもまた程度の問題である。