「がんばれ」は自分のために。

 「がんばれ」ということばは、うつの人には使っちゃいけないみたいね。がんばりたいけどがんばれないのにがんばれってどうしたらいいのよ?って落ち込ませてしまうからよくないんだって。
 私はといえば、「がんばってね」なんてあまり言われたくない。場合によるけど高いところから言われてるような気分になることが多い。
「せいぜいがんばってね」の「せいぜい」は、もともと「せいいっぱい」とか「できるだけ」という意味で、意地悪な意味などないんだけど、意地悪に響くのはそういうわけ。
 昔、ジミー大西が「ジミーちゃんがんばってね」と言われたとき「お前もがんばれよ」と言うって言ってなかっただろうか。
 励ましになればいいけど、ひょっとして相手がムッとするか落ち込むか、どちらかになるかも知れない危険なことばだわ。「がんばれ」って。

 「(お互い)がんばろうね」は、いいね。それぞれの立場でそれぞれの努力をしようってな感じで。

 「がんばれ」って誰かに励ましてほしいときには、ブルーハーツを聴くという人もいるかも知れないけど、私は、自分に言ってみることにしている。「耐子、がんばれ。耐子、がんばれ。うん、耐子、がんばってるね。よくやった、耐子」ってな感じで。アホみたいだけど、結構効くよ。
 励まして欲しいとか、褒めてほしいとか。そんな気持ちは誰でも持ってると思う。なんだか空回りしていたり、目に見える成果が得られないときなんかは、とくに。
 でも、他人にタイミング良く、自分好みの方法で励ましてもらうとか褒めてもらうなんて難しいことなんだし、考えてみればとてもとても虫がいいことなんじゃないかと。
 他人に褒めてほしくて、買い物依存に陥るなんてのもあり得るわけだし、とりあえず店員さんは「お似合いです」ってほめてくれるだろうしね。他人に励ましてほしくて、宗教団体に入るってのもありなのかも知れないけど高い上納金とか長い貢献時間と引き換えってのはいやだな。

誰かに励ましてほしいとか褒めてほしいなんて気持ちが出てきたら、とりあえず自分で自分を励ましたり褒めてみたりするとしましょうか。