「魂の酸欠状態」。

 農林水産大臣が亡くなる。私が死なない決意について書いたばかりのところで。
 自死する人々は、将来を悲観して亡くなるのだろうが、将来を悲観とは、私にとっては則ち将来食えなくなることそのものである。農林水産大臣の場合、それはなかろう。

 曾野綾子氏が「週刊ポスト」6月1日号、連載「昼寝するお化け」のなかで、現代日本人が生活が便利になるなかで「魂の酸欠状態」が生じている、生活が良くなった結果として現実との厳しい関わりあいがなくなり、生活のための努力をしなくなることが日本を精神から崩壊に向かわせるであろう、と書いている。

 するってえと、貧困その他苦しみに満ちた生活、曾野綾子氏のいうところの「不満に満ちた厳しい生活の場」まっただなかにいる私自身の暮らしっぷりは、「魂の酸欠状態」から遠い、生きている実感に溢れたものであるという見方もできる。まさしく「生き甲斐の喪失」なんてタルいことばとは別の世界に住んでいるわけだしね。
 私から見ればとてもとても恵まれた人々が、たとえば「子離れして寂しい」とか「私の人生これでいいんだろうか」とか「何か自分を生かせることないかしら」とか、いい年こいて自分探ししていたりして、それはそれで深い憂鬱のもとであるのだと思うから、世の中意外と公平なのかもねと思ったりするのだけど。

 だからといって「生活のための努力」を強いられている今の私の状態が日本人を「精神の崩壊」の方向に向かうのを押しとどめている、とはとても思えない。痛くなく快適であることが精神を崩壊させるというのがあるのかも知れないが、痛くて不愉快で不満なことが精神を健全にしてくれるとも思えないんですよね。