お金を集めるということ

 天神。
 高校生の女の子の心臓移植のための渡欧資金の募金、目標5000万円、か。
 お金は足りるのか、ドナーは現れるのか、間に合うのか、手術は成功するのか、拒絶反応と闘って社会復帰できる可能性は。そもそも同じ病気で国内で死んでしまう人はどのくらいいるのか。
 治る可能性に賭けて募金運動にこぎつけたことに敬意を評して貧者の一灯を。
 とはいえ、100円で50万人。1000円で5万人。暗算しながら溜め息をつく。
 でも、と考えるのは、これだけの協力人数と拘束時間でペイできる募金が募金箱に入るのだろうかということだ。うまくいってほしいよね。

 最近聞いた話で、知人の子どもの行く小学校(公立)でバザー込みのイベントがあり、黒字が千円くらいだったという話を聞いた。つまり赤字でなかったというだけで、お金集めにはならなかったのだ。
「バザーで売るものをつくるために、係の人が何日か家や学校で布の小ものを作ったり、何百人もいる親に、一家で何点か新品の衣料などの不用品を持って来るように言って、すごい手間かけて値段つけして会計して集計して、結果がたった千円の黒字なわけよ。ひと月に集まるベルマークの点数よりひとケタ少ないのよ。何、それって感じ」
 ふーん。
 かかる経費は予算が立ててあったに違いないけど、価格設定とか販売目標とか皆無だったわけね、たぶん。
 結果として奥様方の自己満足のお店ごっこだったってわけか。
 前にも書いたが、子供会の廃品回収の本をなぜそっくりそのまま古紙商に売る(対価は限りなくゼロ円に近いと聞いている)のか。なぜ、別の家の本が欲しい子に一冊10円ででも売らないのか。「まんだらけ」や「ブックオフ」に持って行けそうなものを分けたりしないのか。その方がお金が確実に集められるのに、何が問題なのか。
 PTAもフリマ的バザーはやめて、鍵のかかる倉庫を借りて、ひと月くらいの期間限定で「ネットオークション集金委員会」をつくったら、かなり収益が上がるのではないか?  
 何が大事なのか? お母さま同士の親睦? お店ごっこ? お金集めじゃないのか?
……と、貧乏零細自営業の人間が言っても、全然説得力ないんだけどさ。